ゆったりと生きよう

これからはゆったりと

幼いころ。

 母

わたしを生んでくれた母は

わたしを生んだことを後悔していました。

いつもいつも生むんじゃなかったと

幼い私に伝えてきていました。

こう書いてみると本当にそうだったのかな?

とは思います。

たぶん、理想の子育てができていなかったのかも

しれないです。

理想の子(わたしのこと)が

生まれなかったからかもしれないです。

かわいい女の子が生まれたら

ああしよう、こうしようと理想をもってたのに。

現実はまるで違い、ノイローゼ。

両親が嫌い!舅姑が嫌い!

夫が嫌い!周囲が嫌い!世間が嫌い!

みんなみんな嫌いと言って泣いて叫んでいました。

信じられるものは、お金だけといって

一生懸命、貯金貯金と呪文のように唱えていました。

 

母はいつも怒っていて

怖い顔で

泣き叫んでいました。

 

案外、わたしはそんな中でも

お外が大好きでバタバタしていました。

多分、多動の子だったんだと思います。

やんちゃでしたね。

なので今でもバタバタしてます(笑)

 

外に出ては大声で笑って

泥んこになって、洋服を汚したり

今思えば、もっとへこむべきところで

へこまず、どんどん外で

楽しもうとしていたと思います。

 

母から

そして、どんどん嫌われました。

大人しめな可愛い同い年の子と比べて

あの子と変わって欲しいと言ったり。

突然、山に捨てに行くよと言ったり。

洋服を汚したり、転んで穴を開けてしまうこともあったら

せっかく買った服を汚してと

包丁を出してきて、手に負えないから一緒に死のうと言ってきたり

あなたは病気だから普通に生きていけないよ とか

知能が低いから何もできないよ とか

そうそう、お仕置き的なことは

晩御飯抜き!これはきつかったな。

そして毎日のように

こんな子、生むんじゃなかったと

簡単に極言を言われちゃってました(笑)

 

お母さん、大好き

わたしは母の悩みに寄り添いたいと思っていました。

母を助けたいと思っていました。

自分自身が母を苦しめているとは思っていませんでした。

どうしてかわからないけど。

しょっちゅう聞いていた、

お父さんやおじいちゃんおばあちゃんが

酷い人で、大好きなお母さんを苦しめていると

思っていました。

隅々まで覚えてないけどこんな感覚でした。

 

たまに

たまにユーモアがある母でしたが

子供に対してもとてもいじりが強く

耐え難い時もたくさんありました。

でも、笑っている母を見ると

わたしも笑っていました。

こころは落ち着かなかったですが。

 

次第に

残念ながら、少しずつ大きくなってくると

他所のご家庭を見る機会も多くなってきました。

ほかのおうちはとてもよさそうだなと

思ってきてしまいました。

私自身の寂しさを自覚するようになりました。

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 心のやすらぎへ
にほんブログ村